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京大合唱団の歴史

わたしたち京大合唱団は平成28年をもって、創立85周年を迎えます。戦前にできた小さな合唱団が幾多の時代を経て、今日まで活動してきました。ここで、京大合唱団の長い歴史を少しご紹介します。

1.誕生

 昭和五年、京大交響楽団は「第九」演奏にあたり、合唱を同志社の合唱団に依頼した。当時京大と同志社大との間にはライバル意識があったようで、京大法学部二回生、京都混声合唱団員の竹内忠雄を中心に合唱団創設の動きができはじめた。大学側の許可が得られずポスターが張れないなど、団員募集に苦労したが、昭和六年五月には、三、四十人が集まり、「京都帝国大学男声合唱団」が誕生した。これが京大合唱団の前身である。そして二ヵ月後に早くも第一回の発表会を行っている。
 二年後には附近の女学生などの協力により混声合唱団としての活動が始まるが、この大きな理由は、集まりの悪くなった団の立て直しを図るためとか。以後女声団員の定着に悩みながらも、「男天下の京大に混声合唱団」と非常に話題を呼ぶ。しかし世の中は次第に右傾化。軍部が台頭してくると「愛国合唱団」として活動しつつも、昭和十六年、太平洋戦争勃発とともに、あっけなく混声活動を禁止され男声合唱団に改組される。学徒動員で団員が減るなか、団存続の危機を迎え、昭和十九年にはまったく沈黙してしまうが、それでも翌年には第十三回の発表会を開いている。その年の八月、長い戦争は終わった。

2.黄金時代

 敗戦の翌年一月、再び学生集会所に集まった団員らによって、混声合唱が復活される。戦後の混乱のなかにあっても、彼らは歌を忘れなかった。社会の新しい自由な空気に、合唱団も内部充実と技術向上に情熱を傾けるのである。一方それまでの総務中心の団運営を廃し、委員会制を採るなど、団内の民主化が図られ、体制を整えた団は急速に発展していく。昭和二十五年、戦後初の学生指揮者に、多田武彦が選ばれた。翌二十六年、関西合唱コンクールでは混声・男声ともに二位入賞を果たし、京大合唱団は黄金時代を迎える。演奏旅行や他団との交歓会が盛んになり、合唱界に新しく起きた「うたごえ運動」の「社会に明るいうたごえを」のスローガンを受けて、他の新生合唱団とともに活動の輪を拡げていった。合唱ブームと、団の家族的な雰囲気から、団員は三百人を越えるにいたり、スケジュール的には大規模な演奏旅行が行われたが、ここにコンクール偏重主義に疑問が持たれてゆく。一方、団が大きくなり、団員全体が過密なスケジュールについてゆくことが困難になるといった問題が内部に生じていくのであった。

3.動揺

 そんななか、昭和三十四年、安保反対闘争が全国に拡がり、大学生という多感な青年層からなる京大合唱団でも、団員総会が開かれ、練習を潰してデモに参加したりした。またこの波紋を受けて労働運動や学生運動が各地で起こり、混乱の中に団も巻き込まれてゆく。政治と音楽がしげく議論されるが、このなかで次第に内部分裂の兆しが見られた。当時あったグループ活動がその傾向を顕著にし、政治を云々するもの、純粋に音楽だけを目指すもの、うたごえサークル的なものを求めるものなどが、次第に独立した活動をはじめるようになってしまった。そして互いに意見を対立させ、団としてのまとまりを失いつつあった。話し合いの場を持つにも団は大きくなりすぎていたのである。

4.分裂

 団内のこうした緊張は解消されることなく、昭和四十一年の六連問題にその結果を見るにいたるのである。
 関西六大学合同演奏会(現在の関西六連の前身)は昭和三十八年から行われ、我が団も混声合唱団として加わってきた。ところがこの年、団員総会で混声での参加を決定した我が団に対して、男声合唱団である他五団はあくまでの男声形態での参加を求めてきた。団員総会が何度も行われるなか、他団の要請は不当とされ、参加は否決されたが、一部納得できない団員たちは、グリー志向を明らかにし、男声合唱団の分裂策動を取り始めた。これが定期演奏会前の合宿の夜に発覚し、女声を中心とした大部分の団員の説得にもかかわらず、十数名が団を去り、京都大学グリークラブを作った。
 この事件を通じて、団員一人一人が考えを持ちながら、互いの要求に耳を傾け、自由に話し合える基盤を持つことの重要性を改めて認識した。そしてそういった姿勢をとり続けたことによって団の存続が今日まで可能になったのである。新たに結束を固めた団は大学紛争の際にも一度の練習も欠かさず、合唱を目的とする確かな目的意識を保っていった。

5.エール誕生

 昭和四十五年以降、大規模な演奏旅行はなくなり、京都府下における団の足固めに注力し、地元での活動が盛んになる。混声、フラウエン(女声)の学生指揮者が誕生したり、混声、各声(男・女声)のジョイントコンサートが行われたり、新しくメゾ・アルトが作られたりと、常に新しい団を目指してきた。
 第五十回定期演奏会ではそれまでの歴史がプログラムに紹介され、合唱への意気込みを明らかにしている。このころの団は、現在の形態に近いものであり、女声の社会人減少により、学生合唱団の性格が強くなってきている。第六十回定期演奏会では歌詞を一般団員から募り、作曲を当団OBである多田武彦氏に委嘱した「京大合唱団エール」が誕生した。この曲は定期演奏会のオープニングで現在も歌われ続けている。

6.そして今…

 バブル景気や平成不況、大学改革などの社会変化にしたがって、合唱団の様子も徐々に変化してきた。練習時間や練習曜日の変更をされたり、春の発表会での企画ステージが行われないことも多くなった。また学生のサークル離れが叫ばれる近年、団員減少のため平成十年、メゾ・アルトがなくなり女声の低音域パートはアルトのみになった。しかし団員一人一人の合唱に対する意識は高く、法然院や永運院などの寺社での演奏会(マリンバや琴とのジョイント)など新しい試みもなされている。変化し続ける社会、生活環境により京大合唱団は変化と遂げてきたし、これからも変化し続けるであろう。しかし、そのなかで普遍なことは歌にかける情熱であり、自分たちのやることに対する自信であった。
 学生指揮者、学生運営という形態ゆえの悩み、失敗もある。だが、それは逆に私たちは私たちのやりたいことを私たちで納得するまでやることのできる環境である。私たちは八十五年という伝統を誇りに思いつつ、この環境を大切にし、これからも私たちの納得できる音楽、合唱を作ってゆきたいと考えている。

(第七十回記念定期演奏会プログラムより転載、一部改変)